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キャプテンシー

有事のリーダー像

 

 

 

新型コロナウイルスがようやく

収束に向かっています。

 

 

 

しかし、

今もメディアは規感染者数増加等の

煽るようなニュースが続けています。

 

 

 

メディアの煽りニュースに

一喜一憂せずに、

医療システムが健在であるならば、

経済活動をどんどん推すべきです。

 

 

 

 

さて、36年前になりますが、

20代の頃、私はダイエーで働いて

いました。

 

 

 

西宮勤務からはじまり、

24歳で浜松町へ転勤、平成元年まで

お世話になりました。

 

 

 

 

 

しかしながら、

勤務態度は真面目とは言い難く、

欠勤、遅刻はしょっちゅう。

 

 

システム納期は遅らせる、

バグだらけのプログラムを納品

して運用部門、ユーザ部門

にも随分ご迷惑を掛けていました。

 

 

 

 

社内昇進システムでは、

新人が最初にチャレンジする

L職と言われるグレードテストも

不合格です。

 

 

 

実務もダメ、試験もダメ、

典型的なダメ社員でした。

 

 

 

 

そんな下の下の社員ですから、

当然ながら、ダイエートップの

中内功さんに会う機会は一切

ありません。

 

 

 

 

定期的に、全社員に配布される

From 中内CEOレターが唯一の接点でしたが、

読み込むこともせずにすぐにゴミ箱に

捨てていました。

 

 

 

ただ、

CEOという肩書が気になっていました。

CEO???なんやそれ?

 

 

 

ちなみに

日本の経営者で最初にCEOを使ったのが

中内さんです。

 

 

当時から時代を先行する経営者でした。

 

 

 

 

中内さんは、第二次世界大戦の地獄の

戦場から帰還されて、事業を興し

当時格下と思われていた小売業を

巨大産業に育て上げて、

1972年には百貨店の三越を抜いて

国内小売業売上高首位。

 

 

 

 

 

1980年には、日本で初めて

小売業界の売上高1兆円を達成。

 

 

その後、

あらゆる業態でビジネスを拡大し、

ダイエーグループ(ダイエー王国)を

形成し、中内さんは、名実ともに流通王と

呼ばれ、経団連副会長にも抜擢されました。

 

 

 

 

全国の地場スーパーマーケット、

プロ野球球団、ホテル、プランタン、リクルート、

ハワイのショッピングセンター、外食、

テレビ局・・・を傘下に治めていきます。

勢いは衰えることなく、増す一方です。

 

 

 

 

 

1993年には、

流通業界出身初の勲一等瑞宝章を受章。

1984年に

レジオンドヌール勲章を、

2000年に

イサベル女王勲章を受章しています。

 

 

 

 

 

晩年は、辛く寂しいことになりましたが、

戦後を代表する大経営者であり、

経済界に残した功績や影響力は今も

色褪せることはありません。

 

 

 

これほどスケールの大きい経営者は、

二度と現れないとも思います。

 

 

 

 

経営者として天の邪鬼で強引な方だった

ようですが、生涯変わらなかったのが、

顧客の為にの精神です。

 

 

中内さんの経営理念の

”For The Customers”です。

 

 

 

 

そのことを象徴するのが

1995年1月の阪神淡路大震災発生直後の

中内さんの行動です。

 

 

 

 

 

東京の自宅で

大震災をニュースで知った中内さんは、

地震発生1時間後の午前7:00に被害がない

東京浜松町本社に災害対策本部を設置。

 

 

 

さらに開けられる店舗(ダイエー、ローソン)

はすべて開けるように、開けられない店も

明りを灯すこと、路上でもいいから在庫

している飲食料品を売ることを指示

しています。

 

 

 

 

 

同時に、役員を含めて福岡、東京から

支援部隊を大量の物資とともに

ヘリコプターまで使って被災地に

送り込みます。

 

 

 

 

低迷していたダイエー自体も大震災で

トドメを刺されていたにも関わらず、

自社の再建よりもお客様の生活を優先して、

お客様の為にダイエーで用意できる

支援に有効な全てのリソースを

惜しみなく投入しました。

 

 

 

 

ちなみに、

当時の村山内閣が対策本部を設置したのは、

地震発生3時間後の午前9:00です。

 

 

 

”はじめてのことなので・・・”と

首相がオドオドしながら、機能マヒを

起こして、多くの支援に対しても有効な

指示が全くできず、

被害を大きくさせたこととは

雲泥の差です。

 

 

 

 

阪神淡路大震災発生直後の中内さんの

一連の動きは、有事での正しい思考で

あり本来の国のトップが行うべく

行動です。

 

 

 

 

もし、今、中内さんが健在なら

具体的にどんな経済対策を講じるのかは

わかりませんが、国民の命と経済を守る

行動を躊躇なく、迅速に実行することは

間違いないと思います。

 

 

 

 

 

2023年、中内さんのようなリーダーが

求められていると思います。

 

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